凌統の魅力に迫る!甘寧との確執、合肥の戦いで見せた忠義

目次

はじめに

凌統の生涯は、父の死という壮絶な経験から始まり、孫呉を支える一将として、数々の戦場で活躍しました。彼がたどった波乱に満ちた人生は、多くの人々を惹きつけ、今なお語り継がれています。若き日の苦難をどのように乗り越え、孫権に忠誠を誓ったのか。この記事では、凌統の生涯を深く掘り下げ、彼の人物像や功績、主要な戦いなどについて詳しく解説します。

凌統とはどんな人物か

父・凌操の死と孫権への忠義

字は公績。凌統は、呉郡余杭県(現在の浙江省杭州市余杭区)で生まれ、彼の家柄は代々呉郡の名家として知られていました。父の凌操は、孫策の時代から仕えた武将で、勇猛果敢な人物として名を馳せていましたが、凌統が15歳の頃、黄祖との戦いの最中、当時黄祖の配下だった甘寧の放った矢によって命を落としてしまいます。

彼は父の功績を継ぎ、直ちに出陣を志願し、黄祖討伐に参加します。この時の彼の勇猛な活躍は、孫権の目に留まり、その才能を認められることになります。凌統自身も、父の武勇を受け継ぎ、幼少期から聡明で勇敢な一面を見せていました。

凌統は、孫権の厚い信頼に応えるため、常に危険な任務を率先して引き受けました。彼の孫権に対する忠誠心は、他の追随を許さないほど強固なものであり、彼の生涯を通じて、その忠義が揺らぐことはありませんでした。

甘寧との確執

父の仇である甘寧との関係は、生涯にわたって葛藤の要因となりました。凌統は、甘寧が孫権に帰順した後も、甘寧を憎み続け、何度も甘寧と衝突しています。その関係は一触即発の状態でした。凌統と甘寧の関係は、三国志の物語の中でも特に有名なエピソードの一つです。

甘寧は凌統の仇討ちを恐れて凌統に会おうとせず、孫権も凌統に自重するよう求めていました。しかし呂蒙が酒宴を開いた時、凌統が剣舞を舞うことになった際に、甘寧がそれに応じたため一触即発の状況になります。幸い呂蒙がその間に割って入ったことで、その場は収まりましたが、孫権は甘寧に半州に駐屯させ、凌統と引き離したといいます。

主な戦歴・活躍

罪悪感から勝利に貢献

206年、山賊討伐に従軍した際に、決戦の前に行われた酒宴で、督である陳勤の傍若無人な振る舞いを注意したことで、陳勤の怒りを買ってしまいます。陳勤は凌統本人や父の凌操を侮辱し、酒宴の帰り道にまで及んだため、耐えきれなくなった凌統は陳勤を斬り、陳勤はその傷が原因で数日後に死亡してしまいます。

凌統は、罪悪感から死んで詫びようと敵に猛攻を仕掛け、勝利に貢献する結果となりました。凌統は孫権に自首しましたが、孫権は凌統の功績を認め、罪を許しています。凌統の責任感の強さが垣間見えるエピソードですね。

黄祖討伐で功績を挙げる

208年、孫権は黄祖を討伐するため、夏口へ進軍します。この戦いで凌統は、船団の先鋒として敵陣へ突撃し、大きな功績を挙げました。

黄祖軍の先鋒である張碩の船団は、江夏郡の要衝である夏口の岸辺に強固な守りを築いていました。凌統は、自ら数十艘の船を率いて激しく攻め込み、張碩の船を次々と破壊します。その勢いのまま張碩の首を斬り、戦いの流れは大きく孫権軍に傾きました。

この戦いでの功績により、凌統は孫権から承烈都尉の官職を授けられ、名声を高めました。

周瑜に代わって本陣を守り抜く

劉備・周瑜連合軍と曹仁軍の間で繰り広げられた南郡の戦いでは、周瑜が曹仁の守る江陵を攻める際に、甘寧と共にこれに参加します。夷陵を占領した甘寧の部隊が敵軍に包囲されると、周瑜が諸将を率いて甘寧を救出に行く間、凌統は本陣を守る役割を果たしました。また、周瑜が曹仁をおびき出すために仕掛けた「偽装撤退」の作戦実行に大きく貢献しています。

これらの功績が認められ、凌統は承烈校尉に昇進しました。

性格と人物像

凌統は若くして将軍となったため、同僚との間に摩擦が生じることもあったようです。しかし戦場では、常に先陣を切って敵に立ち向かう勇猛果敢な武将として知られており、常に自ら危険な任務に身を投じました。彼の戦いぶりは、周瑜や呂蒙といった名将からも高く評価され、孫権の信頼を確固たるものにしました。

戦場での勇猛さとは対照的に、部下や仲間に対しては非常に思いやり深く、部下を家族のように大切にしていました。精鋭1万人余りを配下に得た後で故郷を通りかかった時にも、役人に対し礼を尽くし、古馴染みにも親しんでいたようです。

また、孫権に対する忠義心は、彼の生涯を通じて一貫しており、孫権のためであれば、命を惜しまないという強い意志を持っていました。彼の忠義は、多くの人々から尊敬され、呉の臣下たちの模範となりました。

合肥の戦いでの凌統の活躍を物語形式で紹介!

背景・地理的要因

合肥は、呉と魏にとって譲れない戦略的拠点であり、淮水と長江を結ぶ水陸交通の要衝でした。特に、長江下流域を支配する呉にとって、常に北から迫る曹操軍の脅威を退けると同時に、北上するための足がかりとなる戦略上の要衝でもあったのです。合肥城は堅固な城壁に守られ、周囲には広大な湿地帯や沼地が広がる難攻不落の要塞として知られていました。

このような状況の中、孫権は10万の大軍を率いて合肥への進攻を開始します。曹操は張遼、李典、楽進といった歴戦の武将を合肥に配置し、堅固な守りを固めていました。しかし、魏は7000だけの兵を残して撤退しており、呉は優位に立っているはずでした。

孫権、絶体絶命に陥る

呉は城を包囲し総攻撃を開始するも、城壁は高く、堀は深く、簡単には攻め落とせません。城内からは弓矢や投石機による激しい抵抗があり、呉は多くの犠牲を払いました。さらに張遼は800人の精鋭を率いて城門から突撃し、呉軍本陣を急襲したのです。この奇襲により呉は混乱に陥り、多くの将兵が討ち取られることになりました。

この混乱の中、陣中に疫病が発生したこともあって、遂に孫権は撤退を決断します。この時、孫権は最後尾に位置し、河の北岸側に1000人弱の兵と、呂蒙・蔣欽・凌統・甘寧だけを残して自ら撤退を指揮していました。これを見た張遼は、楽進ら7000人の兵と襲撃をかけ、呉を幾重にも包囲します。孫権は凌統ら共々、絶体絶命の状況に陥ります。

敵の包囲網から孫権を救出する

凌統は、孫権の脱出経路を確保するため、わずか300人の兵を率いて敵軍に突入しました。張遼軍の猛攻に、呉の兵士は次々と倒れていきます。兵らが死に物狂いで防戦している間、孫権は橋にまで来ることができました。しかし、ここで予想外のことが起こります。橋は既に張遼らの手によって3m程撤去されていたのです。配下の者が、孫権の馬に鞭を打って、馬が橋を飛び越えたことで、孫権はかろうじて脱出することができました。

凌統は魏の包囲網に完全に孤立してしまいますが、孫権が無事退却に成功したのを見届けると、全身に無数の傷を負いながらも、獅子奮迅の戦いぶりで敵兵を討ち取ります。橋が壊されていたため、最後は鎧を着たまま河に飛び込み、泳いで帰還した凌統は、瀕死の状態でしたが、一命を取り留めました。

孫権は凌統が無事に帰還したことを知って喜びますが、凌統は部下が全員戦死したことを知ると思わず涙します。これに対し、孫権は「公績、死んだ者はもう戻ってこない。だが私にはまだあなたがいる。それで十分だ」と慰めたのでした。この功績により凌統は偏将軍に昇進し、以前の倍の兵を与えられたのでした。

こうして孫権と凌統は、命からがら帰還することができたものの、合肥の戦いは、孫権軍の大敗に終わりました。

「合肥の戦いの戦術図(イメージ)」

             北
             ↑
 ┌───────────────────┐
 │        合肥城(魏軍守備:張遼・李典・楽進)│
 │   ■ 城門     ■ 城壁砦                   │
 └───────────────────┘
       │     ↑防御堀・湿地帯
       │

呉軍主力→ ◎孫権本陣
◎凌統軍(南側攻撃)
◎呉精鋭部隊(北側奇襲:凌統指揮)

※魏軍:籠城7千
※呉軍:攻撃10万
※矢・石による防御、張遼の城外奇襲で呉軍混乱

諸説ある凌統の没年

『三国志』呉志凌統伝では、凌統は49歳で病死したことになっていますが、『三国志』には215年以降の凌統に関する記述がなく、明代に編纂された『永楽大典』や、唐代に書かれた『建康実録』などの書物には、凌統は217年に29歳で死去したと記されています。よって現行の『三国志』の49歳は、29歳の誤りであり、実際の没年は217年と考えらています。

凌統の死後、孫権は彼の死を深く悲しみ、彼の功績を称えました。彼の死後、彼の息子である凌烈が父の跡を継ぎ、その家系は代々呉に仕えました。

『三国志演義』での甘寧との関係性

 『三国志演義』では、凌操が孫策に従軍した時一緒に付いてきて、凌操が甘寧に射殺された時は必死でその亡骸を奪い返しています。更に、甘寧が孫呉に降り黄祖を討った時の酒宴で、凌統はいきなり甘寧に斬りかかっています。このように史実と同様、甘寧との確執が描かれていますが、合肥の戦いの時は、曹操配下の楽進との一騎打ちで、窮地に陥った凌統を矢で甘寧が救ったため、それ以降二人は堅い親交を結ぶという、史実とは対照的な関係になっています。

まとめ

凌統は、父の死という悲劇を乗り越え、若くして孫権に仕え、呉の発展に貢献した忠義の武将です。彼は、勇猛果敢な戦いぶりで知られ、多くの戦場で活躍しました。彼は若くして病に倒れましたが、その短い生涯の中で、呉の臣下たちの模範となり、孫権の信頼を一身に集めた武将と言えるでしょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次